月潭、本名池田龍治は明治14年(1881)に元荘内藩士池田道重の長男として東京神田今川小路に生まれた。母は、滝沢馬琴の血筋にあたる山口貞である。桐生に育ち大出東皐から花鳥風月の画法を、そして11才の頃荘内に戻り祖父の弟池田駒城の高弟田中静居に南宋画を学んだ。数年の後、東京に戻り当時歴史画の大家として知られた村田丹陵に師事し明治32年1月に雅号「月潭」を授けられ画人として独り立ちし、寺崎廣業や川邊御楯とも親交を深め研鑽を重ね実力を高め、明治36年「日本美術協会」展覧会で褒賞、大正8年第五回全国絵画展覧会および大正10年「日本研美会」全国絵画展等で一等賞金牌を得るなど高い評価を受けるに至る。この間、信越、東北、北海道各地の愛好家の要請を受けて画会(揮毫会)を各地で開催する。その数は遺されている記録に見るだけで43回、総作品数三千に達する。しかし、消えたのである。その分けは・・・
大正12年9月1日、関東大震災の日。この時浅草元鳥越町に居た月潭は火傷を負い末弟龍三のいる長井に逃れるが治療の甲斐なく2ヵ月後に帰らぬ人となった。まだまだこれからの42歳であった。祖父長三郎とその弟駒城、また父道重らを祀る鶴岡の本鏡寺に葬られている。
関東大震災による死者9万人負傷者6万人と云う大混乱の中で一個人の死は特筆されることもなく、加えて此の頃から始まる経済恐慌、農村の疲弊、戦争そして敗戦、戦後の混乱の中で、多くの才能ある人たちと同様に、画人池田月潭は忘れられていったのであろう。
しかし、没後90年を経て池田月潭はここに蘇えりつつあることは確かな事実である。
日本画の美しさ優しさを知る方々に関心と協力を頂きながら「月潭」の絵を深い眠りの淵から光のある世界に復活させる道をさらに切り拓きたいものである。
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