明治14年(1881) | 10月1日、元庄内藩士池田道重と山口貞(滝澤馬琴の裔と謂う)の長男として東京市神田区今川小路に生まれる。本名は龍治。 幼時、松山藩飛領地桐生町東安楽土にて育ち、花鳥風月画の大出東皐に学ぶ。 |
明治25年 | この頃、帰庄(東田川郡大和村大字廻舘)し、三年間、父の叔父池田駒城の高弟田中静居に南宋画を学ぶ。この時池田馬城と称す。 |
明治28年 | 東京市下谷区二長町に移り、有職故実画の大家村田丹陵に師事する。又、寺崎廣業、川辺御楯に学ぶ。この頃、細流画塾研究会々員となり荘洲、潜龍窟なる号を用いる。 |
明治32年 | 1月吉日、師村田丹陵から雅号「月潭」を受ける。この頃から各種展覧会に出品せるもの悉く選に入る。 |
明治36年 | 11月、「能楽羽衣図」が日本美術協会主催美術展覧会で褒状を受ける。 |
大正3年 | この頃からほぼ3年間、西置賜郡長井町に住み長井、宮内、米沢、山形などで揮毫活動をする。 |
大正7年 | 桐生町東安楽土に戻り、全国各地に出向いて画会を開催する。 |
大正8年 | 11月、「養老勅使之図」が第五回全国絵画展覧会(大阪関西院主催)で一等賞金牌を受ける。東京市浅草区元鳥越町7に居を置く。 |
大正9年 | 9月、大日本独立画壇々友に推薦される。 |
大正10年 | 2月、「人物画」が日本研美会主催全国絵画実力調査会で名誉一等金賞牌を受ける。 |
大正12年 | 関東大震災で負傷療養中の11月30日長井町の弟(龍三)宅にて死亡。享年42歳 父祖の地鶴岡の実教山本鏡寺に祀られる。法名 治正院月潭日隆居士。 |